京都嵯峨・清凉寺本尊木造釈迦如来立像(国宝)は、入宋僧奝然〈ちょうねん〉が北宋・雍熈2年(985)に優填王〈うでんのう〉思慕像を写し造らせ日本に持ち帰った像で、「三国伝来の釈迦」として古来尊崇を集めてきた。その模刻像もとりわけ鎌倉時代以降数多く残されているが、本像もその一つで、髪の毛を縄を巻いたように表し、襟元を引き詰めて大衣をまとい、同心円状の衣褶を繁く表すなど、原像の特殊な図像形式を倣っているのは明らかである。しかし、相好は極めて異国風の原像とは異なり鎌倉時代特有の明快さを備え、プロポーションも頭が大きくなっており、図像面でも両脚間にまで同心円状の衣文が及ぶなど、模刻に際しては鎌倉時代の趣味が強く反映され、原像のいかにも異色な雰囲気は稀薄になっている。
台座框〈かまち〉に墨書銘があり、玄海が文永10年(1273)に元興寺の古橋寺金堂の古材を用いて造立したことがわかる。玄海については他に作例もなく、どういう系統の仏師か詳らかではない。カヤ材の一木造で、後頭部を別材製とし、頭部は内刳して玉眼を嵌入しさらに納入品を籠〈こ〉めている。