六臂を有する等身大の如意輪観音坐像。かつては京都市上京区の回向院〈えこういん〉内の如意輪観音堂に安置されていたと伝える。回向院は江戸時代の創建で、寺伝によれば本像は、寛永5年(1628)に丹後国の海中から発見された二躯の如意輪観音像のうちの一躯といい、のこり一躯はやはり京都市内の善福寺に現存する像(10世紀)という。
本像は各腕を肩で矧ぎ、また両脚の前半部を別材で造って矧ぐほかは、頭部および体幹部を木芯を前方に避けた榧の一材から造り、内刳は全くほどこさない。この古式の構造にくわえ、おおぶりの筒型宝冠を同木から彫成する形式、眉の連なった厳めしい表情、奥行きのある頭部の造形、幅の広いゆったりとした体躯のかたちなどから、平安時代半ばをくだらない製作と考えられる。頭部を傾けずまっすぐに立てる点も、日本における六臂〈ろっぴ〉の如意輪観音彫像の最古の作である大阪・観心寺〈かんしんじ〉像に近い。ただし腕の一部が後補のものに換わっており、若干バランスを失っている点が惜しまれる。
本像の表現上のもうひとつの特徴に、左肩からかかる条帛〈じょうはく〉が腹前を幅広くおおい、また背面でも大きく広がって台座に接しようとしている点があげられる。珍しい表現ではあるが、類例が天台系と目される作例に見いだせることから、本像も天台系の図像に依拠するものかと推測する向きがある。