筑前国遠賀郡の芦屋(現 福岡県遠賀郡芦屋町)は、仏具や梵鐘など金属製品の一大生産地であった。特にこの地で作られた鉄製の茶湯釜は、芦屋釜と呼ばれ、鎌倉時代後半ころから生産されるようになり、特に室町時代以降の茶の湯においては、茶湯釜の一大ブランドとして高い価値を与えられた。『尺素往来』に「鑵子(=釜)者蘆屋」とあるごとく、室町時代には「釜といえば芦屋」という認識が一般化しており、15世初頭には、芦屋釜とみられる釜についての記述が『大徳寺文書』や『教言卿記』、『三宝院満済書状』など種々の文献資料にしばしばみられ、京都の大寺院や有力武家や貴族たちの間で芦屋釜が大いに好まれた様子が窺える。この釜も通常の釜の形式をもつ真形で、雄々しい両肩の鐶付(かんつき)、鯰肌(なまずはだ)と称されるなめらかな肌は、芦屋釜の特色である。また、胴部には躍動感ある鶏、楓(かえで)、流水、州浜(すはま)などがあらわされており、特に楓と流水の意匠から、この釜には古来紅葉の名所として親しまれた「竜田川」の愛称がある。