重要文化財銹絵寒山拾得図角皿さびえかんさんじっとくずかくざら

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  • (指定名称)銹絵寒山拾得図角皿 尾形乾山作 尾形光琳画
  • 尾形光琳画/尾形乾山作 (おがたこうりん/おがたけんざん)
  • 1対
  • 施釉陶器
  • 寒山図:高3.2 縦21.8 横21.9 拾得図:高3.1 縦21.8 横21.9
  • 江戸時代・18世紀
  • 京都国立博物館
  • G甲802

 型作り成形された正四方の一対の角皿である。縁は切立縁で、底部の周縁を面取りに仕上げている。総体に白泥による白化粧をし、銹絵で人物や賛を表して朱で印を捺し、その上に透明釉を施している。二枚ともに見込周縁を界線で囲んで、中ほどに人物図を描き、その左右に賛や銘文、落款を捺している。寒山図は、右上端に「我居山勿人識白/雲中常寂々/乾山省所」の賛と「尚古」の朱文方印、「陶隠」の白文朱印が捺され、左下端に「青々光琳畫之」と記されている。拾得図は、左上端に「従来是拾得不是偶/然稱別無親眷属寒/山是我兄兩人心相似誰/能徇俗情若問年多少/黄河幾度清/乾山省書」の賛と「尚古」の手書きによる朱文方印が捺され、右下端に「寂明光琳畫之」と記されている。それぞれの漢詩の冒頭には、「乾山」の長円朱印が捺されている。二枚とも、上下を界線で仕切られた低い立ち上がりの内側には雲唐草文、外側には中央円窓内に五弁の花文を配し、その両側に雲唐草文を描いている。
 現状としては一対として伝わるが、当初よりこの組み合わせであったかどうかは判然としない。本作を含む、光琳、乾山の合作については、宝永六年(一七〇九)、光琳が江戸より京都へと戻ってきて以降であることが、落款や印章、書風などの研究で明らかとなってきている。したがって、光琳が帰洛してから没する正徳六年(一七一六)までの七年ほどの間に作られたものといえる。

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