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釈迦の入滅を描く涅槃図を、果蔬(野菜と果物)によって表現した大作。釈迦は画面中央、伏せた籠の上に置かれた二股大根によってあらわされ、8本の沙羅双樹はトウモロコシで、また釈迦の死を悲しむ諸菩薩や羅漢、動物たちも種々の野菜や果物によって表現されている。画面左上の丸い果物は、釈迦の錫杖と鉢を入れた包みが沙羅双樹に提げられている様子をあらわしたものだろう。
様々な濃度の墨を使い分け、筋目描きや墨のにじみ、かすれといった技法を駆使して、60種以上もの果蔬を描いている。伊藤若冲(1716~1800)が青物問屋の主人として日々親しく接したであろうそれらの描写は、対象の特徴をよくとらえた巧みなものであるのはもちろんのこと、画家の手によって新たな生命を吹き込まれたかのようだ。画面を見ていると、もの言わぬ野菜たちが本当に悲しみに暮れているようにさえ思えてくる。多くのモチーフを描きながら全体の構図や濃淡の配分は絶妙のバランスを保っており、自在な筆墨は目に心地良く飽くことがない。ここには、若冲の水墨画がもつ魅力がまさに凝縮されているといえる。印影から、制作時期は最晩年の6年間、すなわち寛政6年(1794)から同12年(1800)である可能性があるが、様式的により早い時期の制作とする見方もある。
早くに父を亡くした若冲にとって、安永8年(1779)の母の死は大きな出来事であった。だがそればかりでなく、若冲は二人の弟にも先立たれている。その長寿ゆえの孤独は、妻帯しなかった若冲にとってひとしおだったに違いない。本作には、亡くなった家族の冥福を祈り、あわせて家業の繁栄をも願う想いが込められているのだろう。そうでありながら、ここには悲愴さのようなものは微塵も感じられない。それどころか、いのちのこもった表現であるからこそ、野菜たちが各自の「配役」に徹するさまは笑みを誘わずにおかない。パロディではないと強調されることが多いが、真摯な制作動機とユーモアとは決して相反するものではないだろう。
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