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正応5年(1292)、後深草天皇が春日神木動座、および比叡山の動向について伏見天皇にその子細を尋ねた消息。時に後深草天皇はすでに上皇となり院政をおこない、伏見天皇の政治を背後より支えていた。南都北嶺の嗷訴(ごうそ)は、正応4年に始まり同5年2月にまで及び、朝廷は大混乱した。天皇50歳の宸翰。
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