藤原定家(1162~1241)は19歳から亡くなる直前まで日記をつけており、『明月記』の名で知られている。現在、大部分は定家の流れを汲む冷泉家に伝えられているが、途中、さまざまな経緯で巷間に出たものも多くある。本巻はそのうちの一巻と目されるもので、建久10年(1199)正月一日から三月二十九日までの記事を収める。当時の朝廷・武家の動向といった社会情勢を知る上で重要な史料であり、中でも源頼朝の死を伝える記述(正月十八日・二十日条)は、同時期の他の記録より詳細に書かれている。筆跡は定家晩年のものであり、紙背文書も存在しないことから清書本と思われる。