奥書によれば、嘉保二年写の『円仁入唐求法目録』を保安四年(1123)に書写したものの如くに見える。しかし紙背に寛元三年(1245)から宝治二年(1248)頃までの日付けのある文書が数通ある。したがってこの目録は反古紙を利用したその頃の写本と考えられる。紙背の文書の中には叡山横川御廟八講に関する資料も見出されて貴重。なお巻末には明徳2年(1391)賢宝の感得記がある。
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奥書によれば、嘉保二年写の『円仁入唐求法目録』を保安四年(1123)に書写したものの如くに見える。しかし紙背に寛元三年(1245)から宝治二年(1248)頃までの日付けのある文書が数通ある。したがってこの目録は反古紙を利用したその頃の写本と考えられる。紙背の文書の中には叡山横川御廟八講に関する資料も見出されて貴重。なお巻末には明徳2年(1391)賢宝の感得記がある。
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