浙江湖州の行瑫(八九一―九五二)が撰述した音義であり、『摩訶僧祇律』四十巻のうちの最初の十巻についての音義である。音義とは、難解な漢字の字音や字義などについて注を加えたものである。これは、首題の右に「海塩金粟山広恵禅院大蔵」とあることから、浙江省海塩県の金粟山広恵禅院の写本大蔵経の一巻であることが知られる。その書写年代は、料紙や肉太の字すがたより、中国・北宋時代と見られる。これを撰述した行瑫の伝は、『宋高僧伝』巻第二十五に「周会稽郡大善寺行瑫伝」として収められている。その記事によれば、群書を閲覧し経論を探るのに音義が粗略であり、かの慧琳の『一切経音義』百巻すら伝わっていないのに憤慨して遂に大蔵経音疏五百許巻を撰述したとある。今の『内典随函音疏』巻第三百七もそのような大蔵経音疏のうちの一巻と思われる。