道長の曾孫にあたり、当時内大臣であった藤原師通(一〇六二―九九)が寛治二年七月二十七日、道長の先例にならって金峯山に埋納した「紺紙金字法華経」巻第八の残巻である。わが国では、永承七年(一〇五二)より末法の世に入ると考えられており、道長の後、しば埋納経が行われ、経塚が営まれた。経塚を営む作善は、仏法滅尽を恐れ、書写した経典を土中に埋納して釈迦の次に仏となる弥勒菩薩が出世する五十六億七千万年後まで伝えようとするものであった。経典としては、「法華経開結共」十巻が圧倒的に多く、『阿弥陀経』『般若心経』や密教経典の『大日経』なども埋納された。やや読み難くなっているが、師通の奥書には弥勒菩薩の出世に遇わんとする旨が記されている。