鋳造後に顔料等で図文を描いた装飾鏡が彩画鏡である。本鏡は面径22.6cm、縁高8mm、鈕高9mmをはかる重圏彩画鏡で、赤・緑・青・白・黒の5色が遺存する。本鏡は、二重の匙面帯(ひめんたい)を巡らせた内区と、主文帯である外区から構成され、各々は乳(にゅう)で四分される。内区は乳間を虺龍文(きりゅうもん)でうめる。主文帯は左向きの白衣青裙(はくいせいくん)の人物群や樹木、白馬や人物等が認められるが、光学分析の結果、ほとんどが後補であり、当初から遺残する図文は内区文様や馬脚部や樹木などに過ぎない。彩画鏡は中国の戦国時代から漢代にかけて約30面余りが知られ、日本でも弥生時代の福岡県糸島市三雲南小路1号甕棺墓から径27.3cmをはかる大型の例が出土する。本鏡は洛陽金村出土と伝える。文様に後補があるものの、完形彩画鏡の全体像をうかがう好資料と言えよう。