昌寧は、朝鮮半島の東南部、洛東江中流のほとりの地域。三国時代には「比斯伐(ひしばつ)」と呼ばれ、5世紀中頃から6世紀初めにかけて、新羅の影響下にありながらも巨大な勢力を誇った。
透彫冠帽は6世紀前半頃のもので、新羅の勢力の中でも高い地位を保っていたことを示している。斜格子と龍文の透かしがある帽子の左右に翼のような飾板がつき、頂部には細長い鳥翼形の飾りが立っている。左右と頂部の飾板は両面や縁を歩揺で飾る。帽子の左右2枚の板を留める覆輪(ふくりん)の内部には綾(あや)の断片が遺っているので、本来は冠帽の内側に美しい布を当てていたのであろう。
透彫冠帽のほか、金銅の耳飾や覆(くつ)、金の腕輪、金装の環頭大刀など多数の副葬品が出土している。