馮子振(1257〜1327以後)は字を海粟といい、馮道人などと号した。攸(ゆう)州(湖南省)の人。本幅は、馮子振が古林清茂の住持していた保寧寺に宿泊した際、古林の懇請で同寺の賦を作った跋語の草稿である。さらに後半の余白には、後日、古林が当時遊学中の入元僧月林道皎の懇望にまかせて、これを賦与した経緯を書き記している。馮子振は禅に傾倒し、趙孟頫や中峰明本・古林清茂らとの交友が深かったため、その書は多くの禅僧に墨跡として尊重された。馮子振は泰定2年(1325)69歳、古林清茂はその2年後、66歳の筆跡である。
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