虚堂智愚(1185〜1269)が鄱陽(江西省)の復道者にあてた送別の偈頌の前半部にあたる墨跡である。即ち、七言12句の偈頌「送鄱陽復道者」(『虚堂和尚語録』巻7所収)のうち、前半の5句35字に相当する。1行5字、計7行にわたって書写され、後半7句が欠落する。
虚堂は臨済宗松源派の高僧。運庵普巖の法嗣で、浄慈寺(浙江省)などに住した。弟子の日本僧、南浦紹明の門下に大徳寺開山の宗峰妙超が輩出し、同寺と緊密な関係をもった茶の世界では、虚堂の墨跡が殊に珍重された。鄱陽の復道者については不詳であるが、句中に黒い瞳で身なりは落ちぶれている、とある。
博多の豪商茶人、神屋宗湛の『宗湛日記』慶長6年(1601)12月13日条に、「五字ツツ七クタリ有」などと記載がみられ、当時すでに現状の7行分の体裁であったことが知られる。