北礀居簡(隆興2年・1164〜淳祐6年・1246)は、大慧宗杲(だいえそうこう)の流れに属する拙庵徳光(せったんとっこう)の法嗣(ほっす)。飛来峰の北礀に幽居すること10年に及んだため、本来の号敬叟に替えて、北礀と称されるようになった。諸寺に住したのち、晩年には五山の一つである浄慈(じんず)光孝寺に第37世を嗣席。その著『北礀集』は、後世禅文学の古典とされ、わが国でも五山版として刊行された。現存する遺墨は少ないが、本幅は紹定2年(1229)に、蘇州平江長州県能仁寺の万仏閣に参拝した際の偈頌(げじゅ)。痩硬な線質で、峻抜な趣をたたえる作となっている。