重要文化財虚堂禅師墨蹟きどうぜんじぼくせき

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  • 虚堂智愚筆 (きどうちぐ)
  • 1幅
  • 紙本墨書
  • 30.0×50.9
  • 南宋時代・13世紀
  • 東京国立博物館
  • TB-1170

 虚堂智愚(1185~1269)は四明(浙江省)象山の人。号を智愚、息耕叟といった。運庵普巌の法を嗣ぎ、諸寺を歴住したのち、宝祐6年(1258)に育王山広利寺、景定5年(1264)に南山浄慈寺、咸淳3年(1267)には径山万寿寺の第40世の住持となったが、2年後に85歳で示寂した。またこの間、南宋の理宗・度宗両皇帝の深い帰依を受けた。
 虚堂智愚が、悟翁郷友禅師なる人物に宛てた尺牘である。しかし、悟翁がどのような人物であるかを詳らかにしない。虚堂智愚は宝祐年間(1253~1258)に讒言にあい、赦免されたことがある。文中にいう難中とは、その事を指すもので、当時遠方より東山を訪れ、飲食をもって慰問してくれた事を深謝している。文中で来訪があったという明知客は、日本より遊学した南浦紹明と考えられている。南浦は開慶元年(1259)に入宋し、咸淳3年(1267)に帰朝しているため、この尺牘が書かれたのは虚堂の70代後半の頃と推定される。

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