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IIIF Manifest
『古今目録抄』によれば、もと法隆寺の舎利殿に安置されていた。基壇裏の枠板に、当時法隆寺の五師であった覚厳によって保延4年に造立されたことが墨書される。二重基壇の上に伏鉢形の塔身と勾欄、寄棟造の屋蓋、相輪、相輪上に火焔宝珠を備えた宝塔形式の舎利塔で、下の基壇が木製の他はすべて金銅板を打ち出して作られている。舎利信仰は鎌倉時代に南都寺院の間に急速にひろまったが、その先駆をなす遺品といえる。基壇裏面墨書「保延4年8月16日ヨリ至27日此御塔営了 以此功徳当来必結成仏因訖 五師覚厳敬白」
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