裙裾を左右に大きく広げ、腹部を前につき出して「く」の字形の側面観を呈する長身形の像である。僧祇支をつけ大衣を通肩にまとう着衣形式やその側面観などは、止利派をはじめとする飛鳥時代の諸像に通ずるものがある。しかし、背面の3箇所に大きく型持を設けたり、両足を裙裾の裏から造り出す手法等は、わが国の作例にはあまりみないものであり、その全体の作風も含めて、むしろ朝鮮・三国時代、特に百済の仏像と関連する点が多い。
本体・台座蓮肉部を含む一鋳で造る。本体の両肩下がりから裙裾下縁まで内部を中空とし、裙裾底面が外部への開口部となる。頭部と両足から蓮肉部にかけてはムクである。中空部を設けた本体部の銅厚は比較的薄手で片寄りは特にみられない。体部背面の上・中・下の3箇所に方形の型持を設けるが、その跡は、現状では上段のみに嵌金が施されており、中・下段は方形孔として外部に開口している。中型土は中・下段の型持周辺や大衣の下縁から裙裾にかけての個所を除去する他は、大半が像内に残存する。全体に鬆が多く、鋳上がりはあまり良くない。裙裾の左側や下段の型持の右下方にはしる亀裂を鋳懸けで補強し、裙正面中央右寄りの大衣下縁と接する個所には嵌金もみられる。鍍金は連肉下の心棒を除くほぼ全面に残るが、彩色は眉と目の輪郭に墨描きの一部が認められるのみである。なお、左手第2・3指先及び右手第2~5指の付け根より先を欠失する。また、台座の反花以下は木造漆箔によるもので江戸時代の後補である。