別置きされている裏裂の形状から、もとは長方形の褥であったことがわかる。表はこの花鳥蝶文錦を用いて仕立てられたもので、裏は法隆寺献納宝物の褥の大部分が纐纈(こうけち)平絹を用いているのに対して、本褥の裏裂は平絹である。錦は二色の緯糸を用いた緯錦で、二種類の草花文の間にふっくらした鳥と、小さな蝶を配している。草花文は奈良時代中頃に盛んに用いられた唐風の唐花文とは異なり、ごく身近に咲いている草花へと変化している様子がうかがわれる。いかにも和風の優しさを感じさせる意匠といえる。
本褥には、細い幅の組紐の残欠が別に保存されている。正倉院の縁をめぐらした縁付きの褥には、中央の部分(鏡とも呼んでいる)と縁を縫い合わせているところに組紐を伏せて仕立てているものがあることから、本褥の組紐は、この褥が当初縁をめぐらし、縁との縫い合わせ部分に組紐を飾っていた縁付きの褥であったものと推測される。