宝塔をかたどった経筒で、さまざまな金工技術を駆使して製作している。細身の筒身は銅鋳製で、肩部と腰部に凸帯を鋳出し、底部は入れ底とする。蓋は、銅鋳製の印籠蓋の上部に、銅板の屋根をとりつける。軒下には透彫りの飾金具、緑ガラス小玉の瑤珞、銅製円板を垂下し、装飾性豊かなものとなっている。
銅製円板には法華経の品題、筒身には保安4年(1123)3月17日に、橘大子父母・僧某父母らの供養のため、勧進僧が如法経一部を埋めた旨の銘文を墨書する。
12世紀には善美をつくした装飾的な経筒が多く作られたが、宝塔形のものは永久4年(1116)銘をもつ四王寺山経塚出土の銅製経筒、仁平4年(1154)銘をもつ福岡県宗像町稲元経塚出土の滑石製経筒など数例が知られるにすぎない。
なお、この経筒には外容器の甕が伴出したというが、戦災で失われて現存しない。