奈良利寿(1667~1736)の活躍した江戸時代中期には、幕府の抱工(かかえこう)であった後藤家の他に、在野からも多くの刀装金工が出て、自由な立場を生かした個性溢れる作品が作られるようになった。利寿は、こうした在野の江戸で活躍した刀装金工で最も古い奈良派を代表する名工である。江戸時代から評価が高く、杉浦乗意(すぎうらじょうい)、土屋安親(つちややすちか)とともに奈良三作と言われていた。
これは、厚い鉄地の丸形の鐔で、洞窟の前に立つ岩上に虎を配し、沸き立つ雲や下方で荒れ狂う波は鋤出彫(すきだしぼり)と毛彫を用いてあらわし、洞窟には透彫を用いている。総体に立体感に富んでいて力強い作風であるが、虎の斑紋や波涛のしぶきには金や銀の象嵌を施しており、繊細な感覚も窺える。利寿の鐔は数枚を数えるに過ぎず、地板が厚く文様の立体感が強いのを特色とするが、これにもその特徴がよく出ており利寿の代表作と言える。