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鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝(1147~99)の書状。頼朝は鎌倉にいたため、京都の朝廷とは手紙で連絡を取っていた。この書状も、京都の左大弁・藤原兼光に宛てたものである。この書状は『吾妻鏡』(文治二年<1186>4月30日条)にも所収され、頼朝の政治思想が表れた重要な書状である。群卿の合議による政治を求め、後白河院の命令を伝える文書が下された後でも、不当な場合はこれを覆すべきことなどが奏上されている。頼朝の対朝廷政策の姿勢が顕著で、当時の公武の関係がよく示されている。
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