平安貴族の間では、中国の白楽天の詩文(白詩)がきわめて愛好された。今日にも絹地や綾地の巻物に白詩を揮毫した遺品の断片が伝存する。この1幅もそうした中のひとつで、絹地に書かれた調度手本として伝世したものの断簡である。
もとは平絹の巻物に書かれたものであり、1首目は、鄭拠(ていきょ)の七言詩で、続く「衛尉卿致仕憑翊吉」は吉皎(きっこう)の伝歴の一部である。後世の補筆が散見するため、全体の印象として精彩を欠く所もみられるが、そのたおやかな書風から小野道風(894-966)の自筆であったと推定される。
日本橋の古美術商「壺中居」を創立した広田松繁氏(1897-1973)の遺愛の品で、生前に東京国立博物館に寄贈された。