慶滋保胤(934?-1002)は、陰陽師家賀茂忠行の子で、平安時代中期の貴族でありまた儒学者・文章家でもあった。菅原文時に師事して文章生となり、源順などとも親交を結んだ。康保元年(964)勧学会を結成し念仏と法華経研究を行い、横川の増賀上人に参じて、寛和2年(986)剃髪、心覚のちに寂心と号した。『池亭記』、『日本往生極楽記』、『慶保胤集』などの著作があるなど当代きっての文人貴族となった。
この書状は、「寂心」という署名があることから、保胤の晩年の筆跡である。内容は、書物の借覧を懇請したもので、文章内容から目上の人に宛てたものと思われる。淡墨で書かれた本書状は、穏和で気品のある書風を示している。