藤原頼経の子・飛鳥井雅経(1170-1221)は『新古今和歌集』の撰者の一人で、当代一流の歌人であった。この懐紙は、正治2年(1200)の作と推定されるもので、雅経31歳の筆として知られる。
鎌倉時代前期の後鳥羽天皇(1180-1239)は、『新古今和歌集』を撰したことでも知られるが、熊野三山への信仰にきわめて厚く、往復一月がかりの困難な参詣を生涯27回も行なった。その旅程の慰めとして随身とともに頻繁に歌会を催し、おのおの与えられた歌題を詠んでは認めた懐紙、これが世に熊野懐紙と呼ばれるものである。熊野懐紙は、今日30数葉が確認されているが、筆者の署名を有することと、執筆年代がほぼ明らかなため鎌倉時代初期の基準作品として貴重である。