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慈円僧正(久寿2年<1155> ~ 嘉禄元年<1225>)は、平安末期の関白・藤原忠通(1097~1164)の子。幼くして青蓮院に入寺し、仁安2年(1167)に天台座主明雲について受戒。建久2年(1192)、38歳で天台座主になり、生涯で天台座主就任は4度に及んだ。国初以来の日本国の歴史を一人の手で初めて叙述した史書『愚管抄』の著者。歌人としても有名で、家集に『拾玉集』がある。本作は、病苦で乱れた臨終を迎えないようにとの願いをこめ、日吉山王権現に奉った願文で、慈円僧正の最晩年の筆跡の一つ。
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