慈円(1155-1225)は、鎌倉時代の天台宗の僧。諡(おくりな)は慈鎮(じちん)。父は藤原忠通(ただみち)、九条兼実(かねざね)の弟である。歌人としても名高く、『新古今和歌集』撰進のための寄人に加えられたほか、家集『拾玉集』を残す。
慈円は建久3年(1192)に天台座主となって以来、座主を勤めること4度におよんだ。とくに叡山仏法の立場から独自の史観を展開した『愚管抄(ぐかんしょう)』を著わし、公武協調の政治を理想として揚げた。
この願文は、鎌倉時代前期の大乱「承久の乱」から3年後の貞応3年(1224)仲秋(8月)、慈円が春日神社に捧げた表白(ひょうはく)(述べあらわすこと。表明)である。大乱を契機に、来るべき時代を兼実の孫・道家に期待しながら、春日大明神の助力を仰ぐ内容である。翌年に没することとなった慈円のおもいが一気貫通した雄渾な筆致の中ににじんでいる。父・忠通の法性寺流をうけた書風で、能書としての力量が遺憾なく発揮された、まさに遺品である。