賛者の一庵一如は明の使節の1人として応永9年(1402)来日、翌10年に帰国した中国人禅僧で、本図の賛をその間のものとすれば、図の制作時期もその頃と考えられる。賛詩は『採芝操(さいしそう)』(楽府、琴曲歌辞の名)の「曄曄紫芝、可以療飢」を引き、商山四皓(しょうざんしこう)を主題とすることが判る。商山四皓は秦末、世の乱を避けて商山に隠れた4人の老人で皆髪が白かったために皓と呼ぶ。画面には2人しか描かれていないので対になるもう1幅があったとも考えられる。画の様式は古く、14世紀後半の雰囲気をもつ。
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