青木木米(1767~1833)は江戸後期の陶工、南画家。京都の料理茶屋に生まれ、初め奥田穎川(おくだえいせん)に学び、染付、青磁、南蛮写等によって煎茶器をつくって名をなした。また、高芙蓉(こうふよう)、木村蒹葭堂(きむらけんかどう)と交友し文人としての素養を身につけ、田能村竹田(たのむらちくでん)、頼山陽(らいさんよう)の知遇を得た。
本作品は、「甲申仲秋」の年紀から、文政7年(1824)、木米58歳の作と知れる。また題記により、皐陽君(和気正稠)のために鑑水楼(朝日山中の頼山陽命名の料亭)で兎道(宇治)の朝景色を描いたものであることがわかる。
画面中央には藍一刷毛で描かれた宇治川が流れ、右に平等院鳳凰堂、左には宇治橋が見える。中央奥にそびえる山は、本図を描いた鑑水楼のある朝日山。墨の濃淡と藍や代赭といった淡く爽やかな色彩によって宇治の景色を描いた、木米の代表作である。