因幡堂平等寺(びょうどうじ)(京都市下京区)の本尊薬師如来像および因幡堂創建の由来を説く絵巻。鎌倉時代末期、14世紀の作。長徳3年(997)、橘行平(たちばなのゆきひら)が因幡国へ下向し、その地で病にかかるが、夢の中で因幡賀留津(かるのつ)の浜に霊木があることを告げられ、その地に赴くと薬師如来像が引き上げられた。仮堂を造り像を安置したところ、行平の帰洛後、薬師像は自ら行平邸に飛来し、行平は自邸を喜捨して寺とした。これが因幡堂の始まりで、行平は寛弘2年(1005)、因幡国司となり、のち因幡堂は栄えたと説く。行平がこの年に因幡国司となったことは『御堂関白記(みどうかんぱくき)』などによって史実であったことがわかる。この縁起の成立自体にも、因幡国の支配を容易にしようとする行平の企図があるのではないかとする考察もあり、興味深い。詞8段、絵9段からなるこの絵巻の現状は、火災による焼損の痕もあり、完全なものではないが、さらにさかのぼる原本も想定され、因幡堂縁起の重要な資料である。