ひとびとに「末法(まっぽう)」がつよく意識された平安時代の末から鎌倉時代の初頭にかけて、法然(ほうねん)(1133~1212)はひろく専修念仏(せんしゅうねんぶつ)を説いて浄土宗の開祖と仰がれた。その法然の伝記絵巻にはいくつかの系統があるが、東京・妙定寺(みょうじょうじ)には近世の9巻本の模本が伝わり、その巻頭や巻末に「向福寺琳阿弥陀仏(こうふくじりんあみだぶつ)」等と記されることから、この系統の遺品は琳阿本(りんあぼん)と呼ばれている。東京国立博物館本は、琳阿本の巻第8に相当する。
法然は、旧仏教側からの度重なる念仏批判に遭い、建永2年(1207)、土佐国に流される。この巻第8は、法然が赦(ゆる)されて土佐から京都へ戻り、東山大谷で示寂(じじゃく)するまでの、晩年の伝記部分。病床の法然は、枕辺の弟子たちに念仏の理(ことわり)を説き続けるが、建暦2年(1212)に極楽往生を遂げる部分である。