初代市川団十郎に代表される江戸の荒事(あらごと)歌舞伎の豪快味を表現するために、初期鳥居派の浮世絵師たちが常套手段としたのが、瓢箪足(ひょうたんあし)(筋肉を誇張するあまり、瓢箪のようにくびれた手足)、蚯蚓描(みみずがき)(極端に抑揚をつけた描線)と呼ばれる描法であった。この図にもその典型が見られる。孟宗竹を渾身(こんしん)の力をこめて引き抜かんと足を踏んばる五郎の肉身および竹葉の一部に丹、竹・土坡・衣には黄の筆彩をほどこす、墨摺(すみずり)に丹を主とし、他に黄や緑など数色を筆彩色したこの種の浮世絵版画の様式を〝丹絵(たんえ)〟と呼ぶ。元禄10年5月、中村座の「黒小袖 浅黄帷子 兵根元曾我(つわものこんげんそが)」で、「かぶとに似たる竹ぬき五郎」を演じた、初代団十郎(『歌舞伎年代記』)を描いたもの。ポーズや描線に類型化はまぬがれず、彩色もやや粗雑であるが、あくまでも力強く、大らかな作風は、初期役者絵の代表作の名に恥じない。現在、世界にただこの1枚が伝存するのみの稀少な遺品である。
初代鳥居清倍(とりいきよます)(?~1716)は、清信の子といわれるが確証はない。清信とほぼ同時代に活躍し、清信の創始した鳥居派の様式を完成に導いた。彼はまた、勇壮な役者絵とは対照的に流麗な描線を駆使した、洗練された美人画にもその才能を示している。