室町時代後期から桃山時代にかけて流行した声曲の一つ、幸若舞の祖と伝えられる、桃井直詮の画像である。直詮は南北朝時代の武将桃井直常の子孫であり、晩年は朝倉孝景に伝えたといわれる。
像主は折烏帽子を被り、松喰鶴と亀の文様のある青い直垂を着して、異国風の敷物に座している。容貌は高い頬骨と大きめの目が特徴的である。像主の背後には左右から松の枝が張り出している点が珍しい。たんに、像主の背後にそうした障壁画があったものか、あるいは、何か特殊な意味が込められているものかは、明らかでない。
直詮の没後に子の安義が、15世紀後期の宮廷絵所を代表する土佐光信に描かせたものという伝承があるが、画風の点からもうなずける。熟達した迫真的容貌描写が特徴の、室町中~後期における肖像画の名品の一つである。なお、本画像に着賛した海闉梵覚は、朝倉家菩提寺・心月寺の僧である。