巻尾に「善光」の朱印が捺されているところから「善光朱印経」と呼ばれている一群の経巻のうちの1巻。「善光朱印経」は名筆ぞろいで、奈良時代後期を代表する写経として知られており、その遺品は現在約30巻が知られている。巻尾に勘経(原本の校正)年月日、書写年月日、書写した経師や校正(三校まで)の担当者の名、装丁の担当者の名、紙数などを記した詳しい奥書をもつのが特徴である。
「善光朱印経」については不明な点が多いが、法華寺の寺主である尼善光が企画した一切経書写事業の遺品ではないかと考えられている。この書写事業は天平勝宝7歳(755)頃から始められ、天平宝字3年(759)12月まで続いたことが知られるが、その後のことはわからない。
本巻は写経生の一難宝郎が天平宝字3年(759)9月27日に書写したもので、目の覚めるような筆力の冴えを見せており、奈良朝写経の出色の名品として名高い。一難宝郎は摂津国百済郡の人で、百済からの渡来人の子孫だと思われる。本巻を書写した時には39歳であった。