西海道九国二島を統括した大宰府の主要機関である、大宰府政庁に用いられた鬼瓦である。7世紀末~8世紀初頭に製作され、「鬼面文鬼瓦」としては国内最古級の資料である。秀でた額、太い眉、見開いた眼、力瘤のある眉間、大きな鼻、そして歯と牙をむき出しにして開かれた口と、邪悪を寄せ付けまいと強く睨みつける憤怒の形相を表現している。皮膚の収縮や筋肉の動き等が写実的で、また眼は正面を見据えるのではなく、屋根の上から睥睨するようにやや下方を向くように造作されている。
この様式の鬼瓦は「大宰府式鬼瓦」と呼ばれ、わが国の中心であった藤原京や平城京のやや平板な文様の鬼瓦とは様相を異にし、国内でもいち早く鬼面を採用したとされる。鬼の表現や全体の形状などから、朝鮮半島や中国から直接的に影響を受けたと考えられている。また近年は、鬼面についても獅噛文や饕餮文などの獣面の可能性や、同時代の仁王像の表情などとの近似性も指摘されており、そのルーツは未だ謎が多い。
同じ型で製作された鬼瓦は水城跡・大野城跡・怡土城跡などでも出土するが、本作品はその中でも特に良質に製作されており、一部を欠損するものの、造形美と迫力は追随を許さない優品である。
【九州国立博物館(福岡県立アジア文化交流センター)所蔵】
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