わが国において華厳宗を確立した明恵(高弁、1173~1232)の歌を集めた歌集。明恵の弟子高信が編集したもの。紀伊国(現、和歌山県)で平重国の子として生まれた明恵は、幼くして京都の神護寺に入り、16歳の時、奈良の東大寺で受戒した。建永元年(1206)、後鳥羽上皇から賜った洛北の栂尾(とがのお、現、京都市右京区)に高山寺を建立、同寺で修行に励んだ。
この歌集は弟子の高信が師明恵の十七回忌にあたって、宝治2年(1248)に編んだもので、最初に明恵の自撰集『遣心和歌集』『楞伽山伝』(ともに現在は散逸)から選んだ歌を、ついで高信が新たに採取した詠草(歌の草稿)を収録する。
112首におよぶ明恵の歌のほか、贈答歌として明恵が詠み合った相手の歌43首が収められており、全歌数は155首(うち1首は連歌)に及ぶ。なお、明恵の歌には、『新勅撰和歌集』以下の勅撰集に収録されたものが8首あるが、それらには勅撰集名が記されている。
現存する明恵唯一の和歌集であり、彼の人となりを知るうえでも貴重なもの。