これらは、法相宗の学僧明一(七二八―九八)が唐の慧沼の疏を中心に集註した『金光明最勝王経註釈』全十巻の断簡であり、もと比叡山横川の飯室別所に伝えられていたとされるので、「飯室切」の名で呼ばれている。やや生硬なところもあるが、大ぶりで雄勁な筆致の経文と細字の割註には、まま白点・白書が加えられている。白点の加点時期が天長五年(八二八)頃と推定されているので、本文の書写年代はそれより早い平安時代ごく初期と見られる。筆者は嵯峨天皇といわれているが、もちろん伝称にすぎない。巻第四の一幅が守屋コレクションであり、巻第二・第四の断簡を集めた巻子本は、近年購入したものである。
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