江戸時代後期の書家として著名な市河米庵の寿像。米庵の父は、儒家また漢詩人として声名を博した市河寛斎である。図上の米庵自身の賛文によれば、本図は天保9年の米庵の還暦のための像ということになるが、他の記録によって肖像自体はその前年に完成していたことが判明している。この時、渡辺崋山は45歳、円熟期の肖像画であり、附の同像画稿とともに崋山画の一極北を示す作品といえよう。
また画稿と正体ではやや相貌に違いがある。当時の画論類を見ると、肖像画は単にその人物と似ていることよりも、その人物の徳を表現することが肝要と論じられている。崋山もまたその伝統に従ったのである。
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