鐎斗(しょうと)とは下から火を当てて中の液体を煮沸する容器で、中国では漢から南北朝時代にかけて盛行した。朝鮮半島でも、出土状況に不明なものが多いとはいえ、百済の風納土城などから三国時代の鐎斗がいくつか知られており、有力者の存在や、中国との交渉を物語る重要資料である。
本作も朝鮮半島の加耶の古墳から出土したものであり、龍や唐草文に中国南北朝時代の意匠形式がよく反映されている。加耶地域への中国文化の影響が知られる遺品の一つである。
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鐎斗(しょうと)とは下から火を当てて中の液体を煮沸する容器で、中国では漢から南北朝時代にかけて盛行した。朝鮮半島でも、出土状況に不明なものが多いとはいえ、百済の風納土城などから三国時代の鐎斗がいくつか知られており、有力者の存在や、中国との交渉を物語る重要資料である。
本作も朝鮮半島の加耶の古墳から出土したものであり、龍や唐草文に中国南北朝時代の意匠形式がよく反映されている。加耶地域への中国文化の影響が知られる遺品の一つである。
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