いわゆる薬壺形の壺で、金属器の形を模倣して作られたものである。蓋は宝珠(ほうじゅ)形の鈕を付けた伏せ蓋で、天井部に2段の二重沈線をめぐらしている。身は丸底で、ふっくらとした蕪(かぶら)形をなしており、5段の二重沈線を施している。蓋・身ともに外面に緑・褐・白の三彩釉をかけるが、長い間地中に埋もれていたため釉の剥落がいちじるしい。器形などからみて日本で焼成された三彩壺としては最も早い時期のもの。同型式の三彩壺の出土は坂田寺などにも知られているが、完成品はこれまでのところ本例のみである。
この壺は明治時代に方形の石櫃(いしびつ)に納められて出土した。石櫃は一辺を約67cm、高さ36cmの方形の身部に、径27cm、深さ16.5cmの円孔をうがち、高さ23cmの蓋を被せたもので、壺はその円孔の中に納められていた。石櫃に納められた状態で出土した骨蔵器は、ほかに和歌山県高野口の三彩骨蔵器や宇治宿禰(うじすくね)骨蔵器の例もあり、これが奈良時代に広く行われた埋納法の一つであったとみられる。
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