備前国の福岡一文字派の貞真は、宗忠(むねただ)の子と伝え、宝治年間(1247~49)頃の刀工とされるが、作風は父宗忠よりも古風である。細身で鎬がやや高く、腰反りがつき、小鋒(こきっさき)となった姿は、鎌倉時代前期の太刀にみるものである。地鉄(じがね)は、板目肌がやや肌立ち、ごく淡く映りが立つ。刃文(はもん)は、小乱刃(こみだれば)に小丁子刃(こちょうじば)が交じり、小沸(こにえ)がよくつき、匂口(においくち)が深く、この点も鎌倉時代前期の一文字派の作品に近似した作風である。江戸時代には、筑後国久留米藩の有馬家に伝来し、当時の糸巻太刀の拵が附属する。