藤原為家(1198-1275)は定家を父にもつ鎌倉時代中期の公卿・歌人である。歌道師範の家を継承して歌壇に君臨し、「続後撰和歌集」「続古今和歌集」撰者となる。晩年、阿仏尼との間に為相をもうけ御子左家分裂の種を残した。
この譲状は文永6年(1269)11月18日付の加判を有し、嫡子為氏に与えられていた播磨国越部下庄を為相に譲与することを記した悔還状である。時に為家72歳である。これに為氏が為相に与えた避状(「藤原為氏自筆譲状」重要文化財、東京国立博物館所蔵)を添え、御子左家分裂の遠因を示すとともに、同家二代の筆跡を伝えて注目されるものである。1975.06.12 (昭和50.06.12)指定。