『源氏物語』の「関屋」を絵画化したもの。図上に烏丸光広(1579~1638)が「関屋」の一節と自詠の和歌を書きつけている。光源氏が石山詣の途中、逢坂の関でかつての恋人空蝉(うつせみ)の一行と出会う場面で、絵は背景を一切省いた金地に、源氏らに道を譲るために牛車を止めて待つ空蝉の一行のみを描く。さまざまな姿態に描かれる従者たちは、「西行物語絵巻」や「北野天神縁起絵巻」など、先行するやまと絵作品から図様を転用していることが指摘されている。「宗達法橋」の署名と「対青軒」の朱文円印、賛に光広最晩年の花押(かおう)がある。
「住吉家古画留帳(すみよしけこがとめちょう)」(東京藝術大学蔵)には、文化12年(1815)8月13日に、住吉広尚(すみよしひろなお)(1781~1828)が「等覚院(とうがくいん)抱一」(酒井抱一)の依頼で、この屏風を「宗達筆正筆ト申遺ス」と鑑定したことが記録されている。
うち出のはまくるほどに/殿は粟田山こえたまひぬ/行と来とせきとめがたき/なみだをや/関の清水と/人はみるらん/みぎのこゝろをよみて/かきつく(花押)/をぐるまのえにしは/あれなとしへつゝ/又あふみちにゆくもかへるも