明治7年(1874)、興福寺中金堂の基壇から出土したもので、興福寺建立のさいに地の神を鎮めるために埋められた。総点数は30数種、1400点あまりに及ぶ。奈良時代以前の寺院の鎮壇具は、川原寺塔、東大寺金堂(大仏殿)下などから発見されているが、これほど多彩で大量の例はない。発見されたものには、金銅や銀の鋺(わん)、盤、匙(さじ)、鏡などの器物、金塊、砂金や延べ金など金属素材、それに水晶や琥珀(こはく)、瑪瑙(めのう)などの貴石類があった。
その後、明治17年(1884)になって、再び基壇中から銀鋺や玉類などが発見されたが、こちらは興福寺の所蔵となった。