不動明王は仏道の妨げになるものを撃破する威力をもち、大日如来の命を受けて活動することから不動使者とも称されるが、そのまた使者となるのが、矜羯羅〈こんがら〉・制吒迦〈せいたか〉の二童子をはじめとする八大童子である。本図の不動は、平安時代に飛鳥寺〈あすかでら〉の玄朝〈げんちょう〉によって成立したと考えられ、その後流行した形式に従って表している。八大童子は、複数の系統から抽出した像にそれぞれ若干の修正を加えて、新たに作り上げた一組と思われる。それら両要素を組み合わせた構図も独自のものであろう。不動の火焔光背が、霊鳥の迦楼羅〈かるら〉三羽に形作られる巧みな意匠になっているほか、八大童子を含めた全体を火焔で包む様に工夫されており、一切の魔障を焼き尽くすという不動の性格が強調される。なお、童子を包む火焔の一部には下描がなく、彩色時に表現意図に添って付加されたとみなされるのは、図の創造性を示す一点である。像の描写には的確な運筆の墨線を主体とし、彩色はそれに従うべく文様や金銀をほとんど用いず比較的簡素に仕上げるという配慮があり、特色ある画面となっている。