重要文化財病草紙断簡(侏儒)やまいのそうしだんかん

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  • (指定名称)紙本著色病草紙断簡
  • (病草紙断簡 のうち)
  • 1幅
  • 紙本著色
  • 縦26.3 横40.7
  • 平安~鎌倉時代 12世紀
  • 九州国立博物館
  • A66

 病の症例や治療の様子を集めた絵巻物の断簡。それぞれ、極端に背が低く人々に嘲笑される乞食法師(「侏儒」)、背骨が曲がってしまい下を見て歩くしかない乞食法師(「頭の上がらない乞食法師」)、尻に穴がないため口から排泄する男性(「屎を吐く男」)、顔のあざを嘆く女性(「痣のある女」)を描く。
 これら4図を含む「病草紙」全15段は、昭和初期まで一巻の巻物として名古屋の関戸家に伝来していた。同じ巻物に収められていた9段分が京都国立博物館の国宝「病草紙」に充たるほか、のこり2段分は断簡となって個人の所有に帰する。それらを一覧すると、絵は一筆ではなく複数の絵師によるものと推測されるが、いずれも抑揚のあるのびやかな描線で対象を的確にとらえ、少ない筆致で人物の心情まで巧みに描き出している。その卓越した描写は、「伴大納言絵巻」(国宝、東京・出光美術館)の筆者としても知られる宮廷絵師・常盤光長(生没年不詳)のものに共通し、その画風を伝えるものとして稀少である。
 また、顔貌や衣文、草花などには、「地獄草紙」や「餓鬼草紙」にきわめて近い表現を見出すことができ、「病草紙」もそれらと共に六道のうちの人道を絵画化した六道絵の一つとして、12世紀末に後白河法皇(1227~92)のもとで制作されたと考えられる。
 近年、般若流支訳『正法念処経』が典拠となっていることが指摘され、六道絵としての「病草紙」の位置づけがより明確になった。しかし、単なる経典の絵画化ではなく、経典の記述にしばられない部分、つまり病者を取り巻く人々の眼差しや健常者と病者との対比を明確に表現することについて、制作を企図した後白河法皇の権力者としての意向が大きく働いていると指摘されている。
 いずれも断簡であるものの、優れた作風は常盤光長の様式を伝え、12世紀末に宮廷で制作された絵巻の趣向をよく示している。仏教絵画という枠を越えた、平安時代後期を代表する名品である。

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