幡身に種子、三昧耶形、菩薩形像を刺繡した幡。大きさに大小があり、大7旒、小10旒の計17旒が現在伝わる。失われた部分もあるが、三角形の幡頭、三坪からなる幡身、幡手、幡足、舌が備わる。幡頭は黄綾を用い、中央に卍を刺繡、円鐶をもつ金銅製金具を付け、金具の頂にはそれぞれ番号が刻まれる。幡身は坪ごとに異なる色(茶・萌葱・浅葱)の綾を用い、白綾で円相をつくって上から種子、三昧耶形、菩薩形像を刺繡しており、表裏に同図様を刺繡したものが張り合わされる。
各旒の種子、三昧耶形、菩薩形は同一の菩薩を表しており、図様は金剛界三十七尊のうち五仏を除く三十二尊(四波羅蜜菩薩、十六大菩薩、八供養菩薩、四摂菩薩)を1旒ごとに配したもので、四波羅蜜菩薩と外四供養菩薩にあたるものが大きく作られ、もともとは三十二旒であったと推測される。後世の修理のためか一部に図様や順序の錯綜が認められるが、幡の図様として非常に希少な作品である。
幡内から発見された墨書紙片のなかに「奉行上卿前中納言正三位藤原朝臣隆長」と記されたものがあり、藤原隆長の在位期間が元亨3年~正中2年(1323-25)であることから、製作時期を限定できる鎌倉時代の刺繍の基準作例としても貴重な作品である。
滋賀県野洲市の兵主大社旧蔵。