坂本龍馬が土佐で習っていた武術・剣術は小栗流であった。道場主は日根野弁治。嘉永六年(1853)、嘉永七年(安政元年・1854)、文久元年(1861)の三巻が残っている。目録には「太刀」「小太刀」「居合」などの技名が記されている。龍馬は最初の目録をもらった直後に江戸修行に出立し、桶町千葉道場で北辰一刀流を学ぶことになる。この嘉永六年の目録巻物を入れた木箱の表には「小栗流和兵法事目録」という墨書がある。これは日根野弁治の文字か。箱の底裏には違う筆跡で「直蔭十九歳春」の墨書がある。直蔭は龍馬の本名(のちに直柔)である。この箱裏の文字は龍馬の父坂本八平の筆と推測される。十九歳の若さで剣術目録をもらった末子龍馬の成長を喜んだ親心をその文字から読み取ることができるだろう。