国宝金剛般若経開題残巻こんごうはんにゃきょうかいだいざんかん

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  • 空海(弘法大師) (くうかい(こうぼうだいし))
  • 1巻
  • 縦27.6cm 横202.4cm
  • 平安時代・9世紀
  • 京都国立博物館
  • B甲550

 弘法大師空海(774~835)が著した『能断金剛般若波羅蜜経』(唐、義浄訳)の開題で、空海自身の筆になるものである。開題とは、仏教経典の題目を解釈し、その大要を述べることをいうが、空海は「顕略(顕わで略した解釈)」と「深秘(深く秘められた解釈)」という二つの観点から密教的な立場で経題を解釈している。
 この京都国立博物館本は、「是の如く四行の中に無量の徳を具す」から「五色の修多羅を亦、経と名づくるが故に」までの63行を存している。この自筆本は、草書に行書を交えた書体で書かれ、所々に抹消や修正などがあるところから草稿本と見られる。草稿本だけに、かえって空海のありのままの筆跡を伝えるものとして興味深い1巻である。なお、この僚巻としては、奈良国立博物館にも38行分が所蔵されている(国宝)。
 空海は、平安時代初期の僧で、讃岐の人。15歳で上京し、18歳で大学に入学したが、後に仏門に入り、四国で修行した。延暦23年(804)留学僧として入唐を果たし、その翌年には長安の青竜寺恵果から伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を授けられ、大同元年(806)数々の聖教類・法具類を携えて帰国した。帰国後は、高野山を開創し、京都の東寺の経営などによって、真言密教の教えを弘めることに努め、承和元年(834)には毎年正月宮中において後七日御修法(ごしちにちのみしほ)を修することが勅許され、真言密教を国家仏教として定着させた。没後の延喜21年(921)、醍醐天皇から弘法大師の諡号を贈られたが、弘法大師の名は現在でも多くの人びとの信仰を集めている。また漢詩文や書道などにも才能を発揮し、書道においては三筆のひとりとして挙げられ、わが国の文化史上にも多大な足跡を残した高僧である。

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