重要文化財縫箔 紅白段菊芦水鳥模様 ぬいはく こうはくだんきくあしみずとりもよう

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  • (指定名称)能装束 紅白段菊芦水鳥縫箔
  • 1領
  • 丈129.7 裄58.0
  • 安土桃山時代・16世紀
  • 東京国立博物館
  • I-3232

 刺繍と金箔で模様を表した能装束を縫箔と称する。丈は130㎝と短く、袖幅も20㎝あまりしかない、桃山時代の形態を示す。地を紅と白の段替りに織り、紅地の部分には盛り土の間に菊が咲きほころぶ様を愛らしく刺繍し、白地の部分には葦が生い茂る湖のほとりか、水鳥が仲睦まじく水面に遊ぶ姿をやはり刺繍で表わす。今はほとんど失われているが、かつて紅地の部分には金箔が、白地の部分には銀箔が、地の部分を埋め尽くすように敷き詰められていた。絹糸の光沢が美しい刺繍模様と金銀の箔で飾られた縫箔は絢爛と輝く装束だったであろう。桃山時代の能楽師は、このような縫箔を鬘能(かづらのう)の表着に用いていた。桃山時代には現在のような金糸を織り交ぜた華麗な唐織はなく、唐織が京都の西陣で織られ始めたばかりという時代であった。唐織は同時の最高権力者であった豊臣秀吉の周囲でしか用いられかった最高級品で、容易には入手できなかった。秀吉の寵愛を受けた素人能楽師である京都・西本願寺の下間少進は、彼が遺した『少進能伝書』の中で、鬘能の前シテが着用する着流しには「唐織と縫箔のいずれでもよい」と記している。唐織と同様に縫箔が表着として用いられていたことが窺がえる。段替りの内に刺繍による模様を充填させたデザインは唐織のデザインとも共通する。しかしこれほどまでに良い状態で、総刺繍が施された表着の縫箔が伝存することはとても珍しい。伝統を頑なに守り続けた奈良・金春座だからこそ、古い時代の豪華な縫箔が遺されたのである。

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